駄菓子 ++だがし++
///駄菓子///
駄菓子とは菓子の中の駄物という意味では、安価で質も高級品ではない干菓子をさしていますが、もともとは江戸時代の「雑菓子」からきています。精製された白砂糖が貴重品であったために、幕府は庶民の菓子に白砂糖の使用を禁止し、庶民が口にする菓子の甘味料には黒砂糖が用いられました。これを雑菓子と呼び、大名や武士だけが食する上菓子と区別したのです。その後、白砂糖の生産力が高まり、明治以降は上菓子と雑菓子の区別はなくなりましたが、雑菓子のルーツを受け継ぐ安い菓子の総称として「駄菓子」という名が使われるようになりました。大正末期から昭和初期にかけては町の駄菓子屋に加えてべっこう飴やゲンコツ飴、蒸し羊羹などを売り歩く行商人もいました。戦後になって砂糖の配給制が無くなる頃には駄菓子屋も復興し、チューインガム、チョコレート、ラムネ、コーラといった西洋の菓子も店頭に並ぶようになりました。
子供用の駄菓子とは違う「郷土駄菓子」という菓子もあります。有名な地域は仙台・会津・飛騨などが挙げられます。その土地ならではの作物を主原料にシンプルな調味料だけで作られます。有平糖、かりんとう、せんべい、ようかんなど同じ菓子でも地域によって味は変わり、地方名菓として和菓子屋などで販売されています。
///チョコレート(chocolate)///
カカオ豆の粉末に香料・牛乳・砂糖を入れて良く練り、型に流し込んで乾燥させた洋菓子。昔、メキシコのアステカ人はカカオ豆の利用方法を知っており、蜂蜜、胡椒などを加えて蒸したものをショコラトールと呼んで飲んでいました。これがチョコレートの語源です。1518年にアステカの地にやってきたスペイン人がカカオ豆と利用法を持ち帰っていき、イタリア、フランスとチョコレートは広まっていきました。日本に初めて入ってきたのは18世紀後半で、オランダ人によって長崎に南蛮菓子の一つとして渡来しました。日本で最初にチョコレートを作ったのは東京両国の風月堂で明治11年のことです。大正7年にカカオ豆からの一貫生産をしたのは森永製菓で「ミルクチョコレート」を発売しました。明治製菓も大正15年に生産を開始しました。
///チューインガム(chewing gum)///
噛むことで風味や口当たりを楽しむ菓子。かむ(chew)ゴム(gum)の意味で、ゴム質などを基材に味や香りを付けたもので、次のような種類があります。
今日のチューインガムの起源は中央アメリカのマヤ族が、サボディラの樹液を噛んでいたことから始まります。この風習はインディアンや開拓者達に受け継がれていき、19世紀の終わりにウイリアム・リグレーが板ゴムを製造しました。リグレー社は元々ベーキングパウダーのおまけとしてチューインガムをつけていましたが、予想外のヒットとなり、本格的にガムの製造・販売を手がけていきました。
日本には大正の中頃に初めて輸入されましたが、特に普及もせず、戦後のアメリカ兵達が噛んでいたことでガムの消費を呼び起こしました。原料も松ヤニから合成樹脂、ブドウ糖から砂糖に変わって味が良くなり、消費の拡大に伴い製菓大企業が参加してきました。
///ラムネ///
清涼飲料の一種。炭酸水に酸味料、甘味料、香料を加え、玉びんという特有のガラス玉入りのビンに詰めます。語源はレモネードがなまったからといわれ、当時はジンジン・ビア(沸騰水)やオランダ水とも呼ばれました。明治以前に横浜あたりで外人が飲んでいたと記録されていますが、国産品の発売は明治2年(1869)です。
駄菓子の一種で固形ラムネの菓子もあります。