///南蛮菓子///
南蛮菓子の渡来はキリスト教の伝来と大きく関係しています。宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、伝道したのを初めとして相次いで訪れた宣教師達が様々な品物を携えてきました。ザビエルの後に訪れてきた宣教師ルイス・フロイスは1569年4月、二条城に織田信長を訪ね、他の献上品とともにフラスコに入った金平糖を献上しました。信長のもらった金平糖などは海を渡ってきたものとも考えられますが、かすていらやぼうるは宣教師達が教会で作ったものでしょう。
南蛮菓子として伝わってきたものを下記に挙げます。
- カステラ(カステイラ)
「家主貞良」「加須底羅」「粕底羅」などの字でも表した卵・小麦粉・砂糖を混ぜて天火で焼いた菓子。茶の湯の菓子としても人気があり、日本人にすっかり定着しています。カステラの名はスペインの王国「カスティラ」のポルトガル語呼称で、ポルトガル人も日本人もスペインをカスティラと呼び、そこで製していた菓子だからこの名がつきました。今日でも「長崎カステラ」は有名。渡来した長崎から京都、大坂、江戸へと東へ流れ、庶民にも普及していきました。砂糖の使用によってカステラは次第に甘さを増していきました。
- ボーロ(ボール)
ポルトガル語のBoloからきており、「保宇留」と書かれていました。小麦粉に卵と砂糖を加えて丸く焼き上げたカステラの一種。1884年頃の江戸では「丸ぼうる」「花ぼうる」「ごまぼうる」などの種類が多く現れました。佐賀県の名菓「丸ぼうろ」は、小麦粉、砂糖、卵、蜜などを合わせて、種を径7センチ、厚さ2センチほどの円形に抜いて焼き上げたものです。
- カルメル(カルメラ、カルメイル、カルメイラ)
ポルトガル語のcaramelo(砂糖菓子)からきた菓子で、黒い「kara」と密の「mel」の合成語で日本では「浮石糖」の字をあてています。氷砂糖に卵白を加え、泡立ったところを冷やして固めたもの。伝来当時の文献には「番人(蛮人)はこほりざとうに鶏子日の生なるを和して煎じ、沸くとすくいとり、磁器に入れ、ひやし堅まり、浮石の如く成りたるを果に充て食す。番名(蛮名)かるめいると云う」とあります。現在は銅の半球形の小鍋に赤砂糖ざらめを煮立たせておき、重曹をつけた棒の先で手早くかき回すとできた焦糖がまんじゅうのようにふくれあがります。しばらく固まらせておいてからぽんと鍋から外す方法で作られています。火加減も大切ですが、最後にかき回した棒を手早く抜き取らないとできません。
- 有平糖(アルヘル、アルヘイル)
ポルトガル語で砂糖を意味するAlfeloaを当て字にしたもの。1638年の文献に有平糖の名が出ており、輸入されて7、80年後には京の都に入っていたことがわかります。飴菓子の一種で砂糖に飴を加えて煮詰め、引き延ばして白くしたり、色を付けたり、丸形・板状・棒形など様々な形に加工します。鼠色の中に白の線がある玉蓬糖、草色玉に白い太線をつけた菊メイラ、赤い有平糖を紐のようにのばして輪を作って結ぶ千代結などその種類は多くあります。江戸時代には供え物や祝い物として使われた美しい細工菓子で、現在でも節句の日の細工菓子として使われています。
- 金平糖(コンヘイ、コンヘイトウ)
スペイン語Confeitosからきた言葉で「金米糖」「金餅糖」「渾平糖」「糖花」とも書きます。今では駄菓子の一種のようですが、往時は宣教師ルイス・フロイスが織田信長に献上した高級な菓子でした。表面に小さいいぼ状の角がある砂糖菓子で、氷砂糖を溶かして煮詰めたものに小麦粉を加えて蜜とし、胡麻や芥子の実を芯にして回転釜で加熱します。これを繰り返すと大きくなり、角が前面に現れ、24あるものが正式とされました。井原西鶴の「日本永代蔵」には、金平糖のしかけを解明する苦心が描かれています。
- ビスカウト
ポルトガル語のBiscouto。1615年前後にルソン島から長崎に輸入されたもので、小麦粉に砂糖をくるませて型に入れ延ばしたものです。
- パン
ポルトガル語のPao、スペイン語のPanで、小麦粉生地を発酵させて焼いたもの。無発酵のパンは唐菓子の煎餅という形で、発酵生地を蒸したものは点心の饅頭として既に伝来していました。しかしキリスト教の弾圧によってパンは禁制品となり、明治初頭の文明開化まで復活されませんでした。
- 鶏卵素麺(けいらんそうめん)
清浄の水に五温糖を加えて沸騰させ、上質の鶏卵の黄味をよく溶いて糖湯の中に糸のように流し込む。すぐに固まるので引き上げて冷まし、20センチほどの長さに切りそろえます。福岡市の松屋菓子舗(1673年創業)のものが有名。初代利右衛門が長崎へ赴いた折り、点心作りの明の名人から鶏卵素麺の製法を学んだとされます。鶏卵素麺は金沢森八の「長正殿」、越後長岡大和屋の「越の雪」と並ぶ日本三大名菓の一つです。
- タルト(タルタ)
ポルトガル語ではトルタ、饅頭の意味です。1635年松山藩主、松平定行が長崎の異人館にてタルトを食し、その美味と製法を松山に伝えたことに始まるとされます。以来松平家の菓子として庶民が口にすることはできませんでしたが、明治維新後に一般の菓子となり、松山の名物となりました。小麦粉、鶏卵、砂糖を混ぜて焼いたキメの細かいカステラで小豆餡を巻いた棹物です。タルタかタルトかという語源や最初は餡ではなくジャムであった説、なぜ四国松山にしか残存しなかったのか等、謎の多い菓子でもあります。松山市、明治16年(1883年)創業の一六本舗は「一六タルト」が有名。四国特産の生柚子を加えた北海道産皮剥き小豆餡を巻いた香りと甘味が特徴。