++あめ++

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砂糖を煮詰めたもの、または澱粉を麦芽で糖化させた甘味食品。砂糖とは異なる風味を持ち、加工して各種の飴菓子を作ります。
古くは日本書紀、神武天皇の戦勝祈願の水無飴の故事より端を発しているとされ、上古時代に飴は甘味と栄養の補給に貴重なものであったとされます。この飴が固形の飴か水飴かははっきりせず、行事・神祭にも飴の文字はなく、平安時代に入ってから飴の記録を多くみることができます。正倉院古文書に残されている記録では「阿米」と表記されていることから、この時代の飴の原料は米もやしであったようです。後に江戸時代に入って麦もやしが使用され、量産化が進んできました。

///千歳飴///

水飴を練って固くし、引き延ばして飴の中に気泡を入れて白くしながら、棒状に加工し紅白に染め分けたもの。現在はお宮参りや七五三の祝いに買って、子供の成長を祝います。起源は江戸時代、元禄・宝永の頃(1688〜1704)江戸浅草の飴売り七兵衛が「千年飴」「寿命糖」と名付けて長い袋に入れて売り歩いたことからとされます。

///朝鮮飴///

熊本名物の求肥飴。肥後平野産もち米の求肥、もち米の飴、砂糖を原料として練り、片栗粉をまぶして拍子木型にした飴。製造当初は黒砂糖を使用したので淡褐色でしたが、現在は白砂糖のため白いものが大半です。
熊本城主加藤清正は、慶長の朝鮮役に出陣し、篭城・苦戦を重ねた際、兵糧として携行した「長生飴」が大いに役立ちました。帰国後篭城を支えた記念として「朝鮮飴」と呼んで珍重し、家臣に製法を管理させて市販を許しませんでした。歴代の藩主も愛用し、年々将軍家への献上菓子となっていました。江戸時代中期に藩主に従ってきた者が製法を学んで、菓子屋を開きました。

///求肥飴///

飴菓子のうち有平糖とともに高級品といわれ、古くから有名なものに朝鮮飴があります。糯米と白砂糖水飴を練り固めたもの。一説には寛永年間、出雲の太守が京都において求肥飴を食し、美味であったため江戸に帰ってから同じ菓子を探しましたが、まだ江戸にはこの飴はありませんでした。それでわざわざ京都から菓子職人を呼び寄せ、江戸で作らせました。このことで菓子職人は出世し、その製法は継承されていきました。その他求肥飴に属する製品は、鹿児島のボンタンアメ、名古屋のさくら飴、秋田のりんご飴、北海道のきみだんごなどがあります。

///水飴///

澱粉を分解して糖化させた甘い粘液。酸と熱で分解するのが酸糖化飴、ビールで使用される麦芽である糖化酵素で分解するのが麦芽水飴。平安時代の「和妙抄」に表れている水飴は米もやしの麦芽水飴です。砂糖がなかなか手に入らなかった江戸時代では庶民の甘味として、母乳代わりの栄養食品としても利用されました。そのまま食べるのはもちろん、製菓材料として使用したり、のどの痛みや便秘に効く薬としても大切にされています。

///キャンディー(candy)///

砂糖を主原料とした洋風飴菓子の総称。水飴、コーンシロップなどで風味・光沢をつけたり牛乳、ゼラチン、香料、バターなどを加えることもあります。

糖液を煮詰める温度で以下のように区別できます。

  • 高温(140〜160℃)
    固くてもろいハードキャンディ:ドロップ、バタースカッチ、タフィー
  • 中温(100〜125℃)
    柔らかいソフトキャンディー:キャラメル、ヌガー、ゼリー
  • あまり加熱を行わず、ゼラチンで固める:シュガータブレット
  • 糖液で被膜を作る:ゼリービンズ、ボンボン
  • ///ドロップ(drop)///

    キャンディの一種。砂糖と水、水飴を高温で煮詰め、クエン酸、香料、色素等を加えて練り込み、型に流して固まらせます。果実の味や形に作るのが一般的です。固くてもろく、歯で噛むと細かく割れるのが特徴です。ドロップとは雫の意味で、ドロップスとも呼ばれます。
    最初イギリスで作られたときは砂糖煮したスモモを小さな球状にして砂糖をまぶしたものを「ドロップ」と呼んでいました。日本へ伝わったのは宝暦年間(1751〜1764)で、江戸の薬種商大坂屋平吉が「ズボウトウ」の名で売り出しました。その後明治時代になるとシカゴ万国博覧会に出品されていたドロップス製造機械を輸入し、横浜「新杵」が生産を開始しました。1900年になると森永製菓など各社が本格的に生産を始めました。