羊羹 ++ようかん++
///羊羹///
羊羹は饅頭同様、鎌倉時代に中国から点心の一種として禅宗と共に渡来したものです。その当時は羊の肉や野菜を入れた熱い汁物(=羊羹)で、日本では宗教的に獣の肉は忌むものであったため、植物性の材料を使用した蒸しものに改良されました。小豆のこし粉、葛粉、糯米粉、甘味料として甘葛(あまずら)を合わせて蒸したものが羊羹、砂糖を合わせたものが砂糖羊羹とされますが、今でいう蒸し羊羹のことです。その後、羊羹は点心としてだけではなく、饗膳、仏事や法事の膳にも取り入れられるようになって武家社会の中に浸透していきました。
蒸し羊羹が料理から菓子として扱われるようになるのは、砂糖が流通する江戸時代になってからのことです。寒天の製法が発見されてからは、練羊羹や水羊羹が羊羹のバリエーションとして作られるようになり、庶民が菓子として口にするようになってきました。
///練羊羹///
餡をよく練り、砂糖と寒天を加えて固めた羊羹。蒸し羊羹に比べ、砂糖の分量が多く、きめ細かく口当たりもすっきりしています。寒天の製造が考案されてから寛政年間(1789〜1801)頃に作られるようになりました。
元祖は1589年に京都伏見の駿河屋(鶴屋)四代目の岡本善右衛門が製造した「伏見羊羹」とされますが、寒天発見の年より早すぎてはっきりしないところもあります。六代目に至って現在のような練羊羹の姿が完成されて、十五代には紀州公の御菓子司となり、和歌山に移って「駿河屋」と名を改めました。
続いて1626年金沢で遠州流茶人忠左衛門が練羊羹を創製し、1751年には江戸本郷御影町に移り、「藤むら」を屋号として各種羊羹を売り出しました。
練羊羹が本格的に作られるようになったのは江戸時代後半頃(寛政年間1789〜1801)で江戸には次々と高級練羊羹を作る店(鈴木越後、金沢丹後、船橋屋織江)が出現し、大変繁盛しました。今日、羊羹といえば虎屋が有名ですが、虎屋の記録『御棹菓子御銘並仕種帳』(文久2:1862)には、寒天をもちいた羊羹の記録があり、ハッキリと「煉羊羹」の文字も見られます。
日持ちの良さや食べ口の良さから蒸し羊羹を圧倒し、この頃には羊羹といえば練羊羹のことを指すようになりました。
///蒸し羊羹///
小豆餡と小麦粉、砂糖、葛粉を練り混ぜ、蒸し固めた素朴な味わいを持つ羊羹。練羊羹より歴史は古く、寒天が発明されるまでは羊羹といえば全て蒸し羊羹でした。(羊羹の項参照)
代表的な蒸し羊羹には名古屋「美濃忠」の「上がり羊羹」、他に「丁稚羊羹」、「栗蒸し羊羹」、「芋羊羹」などがあります。「上がり羊羹」は尾張徳川家に御用菓子として納めていたために「お上のお召し上がりになる羊羹」という意味で名付けられました。「丁稚羊羹」は京都・神戸に多く、元来は丁稚でも買える安い羊羹の意味だといわれています。
///水羊羹///
練羊羹より寒天や餡を少なめにし、煮詰めずに作った水分の多い羊羹。あっさりした甘味で、冷たくしていただくと一層おいしい夏向きのお菓子です。従来は桜の青葉を添えて販売されていましたが、現在はカップや缶に入れ、保存性の高いものにする傾向があります。
水羊羹についての文献は少なく、虎屋の1746年の値段表に水羊羹の記述がわずかにみられるくらいです。羊羹好きといわれる夏目漱石は東京の「越後屋若狭」の水羊羹が好物のようでしたが、同店の創業は1765年です。